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2006年5月29日 (月)

デヤン・スタンコヴィッチ

 底知れぬ豊富な運動量。左右両足から繰り出される正確なキックと高精度のミドルシュート。中盤ならどのポジションでもこなし、攻守ともに抜群の存在感を発揮する、セルビア・モンテネグロのキャプテン―――デヤン・スタンコヴィッチ。ドラガン・ストイコヴィッチ引退後の背番号10である。

 レッドスター在籍時には16歳でチャンピオンズリーグ出場を経験。「早熟の天才」と呼ばれた少年はラツィオ、インテルといったビッグクラブで経験を積み、いつしか国を代表するフットボーラーになった。
 ワールドカップデビューは1998年のフランス大会。19歳の若さで3試合に出場した。しかし、ユーゴスラビア代表として臨んだ最後のワールドカップ予選、2002年日韓大会は欧州予選で敗退してしまう。
 リベンジを果たすべく臨んだドイツワールドカップ欧州予選では、ベルギー、スペインの強豪と同じ組になりながらも、6勝4分けの成績で1位突破を決めた。失点はアウェイのスペイン戦で喫した1点だけという、盤石の戦いぶりである。
 スタンコヴィッチは4-4-2のセントラルMFとして10試合中9試合に出場。欠場した1試合は故障によるもので、ケガさえなければフル出場を遂げて当然の戦力だった。

 今年6月、セルビア・モンテネグロがドイツの地で戦うのは、アルゼンチン、オランダ、コートジボワール。厳しいグループに入ったが、スタンコヴィッチはなんら気にしてはいない。むしろ、対戦を楽しみにしている。なかでも、サネッティ、カンビアッソ、サムエルなどインテルのチームメイトが多いアルゼンチン戦は、特別な感情を持って挑むことになるだろう。スタンコヴィッチは「もちろん、監督に彼らの特徴を教えるつもりだ」と話し、チームメイトとの対戦を歓迎している。
 グループCはアルゼンチン、オランダの勝ち抜けで堅いというのがおおかたの予想である。そんななか、もし番狂わせが起きたなら、その中心にいるのはこの男であることは間違いない。
 ドイツワールドカップは旧ユーゴ時代から数えて2大会ぶり、セルビア・モンテネグロと名前を変えてから初めてのワールドカップになる。国として名をあげるため、スタンコヴィッチの熱きチャレンジが始まる。

ディディエ・ドログバ

 初出場ながら、アルゼンチン、オランダ、セルビア・モンテネグロと同居する“死のグループ”に入ったコートジボワール。今大会のアフリカ勢で最も前評判の高いチームが決勝ラウンドに駒を進めるには、ディディエ・ドログバの活躍が不可欠だ。

 1998-1999シーズン、フランスリーグ2部(当時)のルマンでトップチームデビューを果たしたドログバは、瞬く間にスターへの階段を上っていった。フィジカルの激しいリーグで経験を積んだFWはギャンガン、マルセイユとステップアップを果たす。2003-2004シーズンには18ゴールを挙げフランスリーグ最優秀選手に輝くと、ジョセ・モウリーニョ率いるチェルシーへ引き抜かれた。移籍金は、クラブ史上最高額(当時)の約50億円だった。
 モウリーニョにFWのファーストチョイスとして起用されるなど、ドログバはプレミアシップでも才能をいかんなく発揮していく。DFを弾き飛ばす強靭(きょうじん)なフィジカル、巧みな状況判断、パワフルなシュート。フランスリーグでの実績を考えると得点数こそ物足りないものの、前線で確実にボールをキープできるストライカーは、チェルシーでも欠かせない戦力となった。

 ワールドカップ予選は最前線で奮闘し、チームにワールドカップへの出場権をもたらした。10試合中9試合に出場し、チームトップの9ゴールをマーク。だが、2006年アフリカ・ネーションズカップ決勝のエジプト戦では苦渋を飲まされる。PK戦で最初のキッカーを務めたが痛恨のミスを犯し、チームは準優勝に終わった。自身の失敗でタイトルを逃しただけに、キャプテンはワールドカップでの雪辱に燃えているに違いない。

 コートジボワールの基本戦術は、守備をがっちりと固め、そこからのカウンターアタック。ドログバが前線でボールをキープし、チームメイトをうまく使いこなせれば、コートジボワールが試合のペースを握る。逆に、ドログバが簡単にボールを奪われるようだと、コートジボワールはグループリーグで姿を消すことになるだろう。
 対戦国のマークがドログバに集まるのは、目に見えている。そんな中、世界でも有数のフィジカルを誇るドログバは、強敵のマークをいかに振り切るのか。コートジボワールの命運は、ドログバが握っている。

リオネル・メッシ

 “マラドーナ2世”と期待されたアルゼンチン人プレーヤーはかつて何人もいたが、誰もマラドーナにはなれなかった。だが、リオネル・メッシなら――。若干18歳のアタッカーは、それ程までに高い能力を誇っている。

 13歳のころ、メッシは身長が143cmしかなかった。幼少のときに、成長障害疾患を患ったためである。成長ホルモンを注射するため、毎月約900ドルの治療費がかかった。決して裕福ではなかった一家は治療費の捻出(ねんしゅつ)に苦しみ、スペイン移住を決意する。そして、メッシのプレーに心を奪われたバルセロナが治療費の負担を申し出て、入団に至った。
 自ら足に注射を打ち続け、169cmまで身長を伸ばしたメッシはめきめきと頭角を現していく。2004-2005シーズンには、チーム歴代3位の17歳3か月でトップチームにデビュー。同シーズンにはチームのリーグ最年少得点記録を打ち立て、チャンピオンズリーグ初出場も果たした。

 アルゼンチン代表のエースとして出場した2005年ワールドユースでは、世界中の度肝を抜いた。巧みな戦術眼、正確かつパワーのあるシュート、タテに一瞬で抜けるスピード、相手をあざ笑うかのようなテクニック。生粋のゴールハンターであるメッシは6ゴールを奪い、アルゼンチンの5度目の優勝に大きく貢献。大会MVPに輝いた。
 2005年8月には、途中出場ながらフル代表にデビュー。若手選手を積極的に起用するホセ・ペケルマン監督はその後もチャンスを与え、先発した3月のクロアチア戦ではフル代表初ゴールを記録。レギュラー定着に向け、これ以上ないアピールとなった。
 クラブレベルでも、2005年9月にスペイン市民権を獲得すると、出番は激増していく。ついにはフランス代表のルドヴィク・ジュリー、スウェーデン代表のヘンリク・ラーションら錚々(そうそう)たる選手をベンチに追いやり、レギュラーの座を奪ってみせた。

 「メッシはロナウジーニョと並んで世界最高の選手。私によく似ている」
 母国の英雄ディエゴ・マラドーナに、ここまで言わしめたメッシ。バルセロナの世界一攻撃的で魅力的なサッカーの一翼を担うアタッカーは、初めてのワールドカップで再び世界中を震撼(しんかん)させるに違いない。

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